アニメ『呪術廻戦』の七海建人役や『ゴールデンカムイ』の尾形百之助役などで絶大な人気を誇る声優・俳優の津田健次郎氏(54)が、自身の特徴である「低音ボイス」を生成AIで無断模倣されたとして、動画共有アプリ「TikTok」の運営会社を相手取り、動画の削除を求める訴訟を東京地裁に起こしていたことが2026年5月23日までに明らかになりました。

代理人弁護士によると、生成AIによる「声の無断利用」を巡ってプラットフォーム側を提訴するケースは国内初とみられます。テクノロジーの急速な進化がもたらした、個人の「声の権利」を巡る歴史的な裁判として、エンターテインメント業界のみならず法曹界やIT業界からも大きな注目を集めています。

1. 事案の経緯:なぜ「投稿者」ではなく「TikTok」を提訴したのか?

訴状などによると、問題の発端は2024年7月から2025年9月にかけて、TikTok上に開設された氏名不詳のアカウントによる動画投稿でした。このアカウントは、生成AIを用いて津田氏の声質や口調を精巧に模倣したナレーション付きの動画を、少なくとも188本にわたって無断で公開していました。

津田氏側は当初からこの事態を重く受け止め、投稿者を特定するための法的措置に動いていました。

  • 2025年8月:東京地裁が権利侵害を認め、TikTok側に対して発信者情報の開示を命令。
  • TikTok側の対応:命令に応じ、2025年2月時点の接続記録(アクセスログ)を津田氏側に開示。
  • プロバイダーの壁:開示された情報を元に津田氏側がネット接続業者(プロバイダー)へ問い合わせたものの、すでに接続記録の保存期間が経過しており、最終的な発信者(投稿者)の氏名や住所を特定するには至りませんでした。

このように、ネット上の匿名投稿における「タイムラグによるログ消失」という高い壁に阻まれた結果、津田氏側は次の手段として、2025年11月、動画の配信プラットフォームであるTikTokの運営会社(日本法人)を直接の被告とし、動画削除を求める訴訟へと踏み切りました。現在までに非公開の争点整理手続きが3回行われており、2026年夏にも第1回口頭弁論が開かれる見通しです。

2. 驚きの収益化構造:模倣動画がもたらした「月最大75万円」の利益

今回の事件が悪質とされている背景には、生成AIで他人の声を「横取り」し、多額の経済的利益を得ていたという実態があります。

問題の動画の主なテーマは「都市伝説」「オカルト」「雑学」といった、視聴者の興味を惹きつけやすいコンテンツでした。津田氏の代名詞とも言える、重厚で説得力のある「低音ボイス」を再現したナレーションを付すことで、動画は爆発的な再生数を記録しました。

項目実績データ
投稿動画数188本以上
アカウントのフォロワー数21万人以上
動画の平均再生回数約147万回
推定月間収益約50万〜75万円

TikTokには動画の再生回数やエンゲージメントに応じて投稿者に報酬が支払われる収益化プログラムが存在します。投稿者は、他人の知名度や声の魅力を生成AIで手軽に複製(フリーライド)し、1年余りの間に莫大なアクセスと月々数十万円もの不当な利益を得ていたことになります。これは単なる個人のファン活動やパロディの域を完全に超えた、「ビジネス目的の悪質な権利侵害」と言わざるを得ません。

3. 法的論点:裁判で何が争われるのか?

今回の訴訟において、津田氏側は「パブリシティ権の侵害」および「不正競争防止法違反」を主張しています。声には肖像権のような明確な明文化された権利が確立されていないため、既存の法律をどう適用するかが最大の焦点となります。

① パブリシティ権の侵害

パブリシティ権とは、有名人などの氏名や肖像が持つ「顧客吸引力」を独占的に利用できる権利です。

2024年に内閣府の「知的財産戦略推進事務局」が公表した生成AIに関する見解においても、「声もパブリシティ権の保護対象になり得る」と言及されていました。津田氏側は、今回の動画が「津田健次郎の声」というブランド力を用いて視聴者を引きつけていたと主張しています。

【立証のポイント】

実際に動画のコメント欄には**「ツダケンの声がする」「津田さん本人のナレーションかと思った」**といった書き込みが多数寄せられており、津田氏側はこれらを「視聴者が本人の声だと認識して引きつけられた(混同した)証拠」として裁判所に提出しています。

② 不正競争防止法違反

同法では、世間に広く知られている他人の「商品等表示」と類似のものを使用し、需要者に混同を生じさせる行為を禁じています。津田氏の著名な声がこれに該当するかが争われます。

被告(TikTok側)の反論

これに対し、被告であるTikTokの運営会社側は、動画の音声について「普遍的な男性の声(一般的な低音ボイス)に過ぎない」として、津田氏の声との類似性や固有の権利侵害を否定する姿勢を示していると報じられています。

司法が「どこからを個人の声の模倣とみなすか」という類似性の線引きについて、どのような判断を下すかが注目されます。

4. 声優界の危機感と「NO MORE 無断生成AI」運動

津田氏が今回、多大な労力とコストをかけてまで提訴に踏み切った背景には、声優業界全体、ひいてはクリエイターの未来を守りたいという強い危機感があります。

津田氏は2024年秋から、声優有志らとともに「NO MORE 無断生成AI」という啓発運動を展開し、SNS等で声の無断利用防止を訴え続けてきました。記者会見や取材の中で、津田氏は以下のようなメッセージを投げかけています。

  • 若手声優への影響:無断生成AIによるナレーションや吹き替えが横行すれば、これから育つべき若手声優の活躍の場や仕事の機会が奪われてしまう。
  • 犯罪・なりすましへの悪用懸念:個人の声を簡単に偽造できる技術は、詐欺やなりすましなどの犯罪に直結しかねず、クリエイターだけの問題ではなく社会全体の問題として捉えるべきである。

声優という職業は、自身の「声」そのものが唯一無二の商品であり、人生をかけて磨き上げてきた技術の結晶です。それをAIによって一瞬で模倣され、フリー素材のように消費される現状に対し、業界の第一人者としてノーを突きつけた形です。

5. 今後の見通しと社会への影響

今回の訴訟は、技術の進歩に法律やプラットフォームのルールが追いついていない現代の歪みを浮き彫りにしました。

今夏に予定されている第1回口頭弁論以降、東京地裁がどのような司法判断を下すかによって、今後の国内におけるAIコンテンツの運用ルールは一変する可能性があります。

もし津田氏側が勝訴、あるいはそれに準ずる形での和解となれば、プラットフォーム側は今後、AI生成音声を含む動画の著作権や権利侵害に対する監視・削除義務をより厳格に強化せざるを得なくなるでしょう。

デジタル時代における「声の尊厳」と「表現の自由」、そして「AI技術の発展」の境界線をどこに引くのか。日本初の「声のAI裁判」の行方から、今後も目が離せません。

関連リンク

本事案に関する詳細や、声の権利保護に関する動向は以下のリンクよりご確認いただけます。

By tokita